古代中国から伝わる「太上秘法鎮宅霊符」は、道教経典の集大成である道蔵に記載されています。この護符は、「上元経」に記された由来譚に基づいており、悪相の地に住む劉進平という人物が神仙から授かったものです。劉進平はその土地の負のエネルギーを祓い、安寧をもたらす力があるとされ、この護符が孝文帝によって広められたと伝えられています。
日本には、伝承では推古天皇の時代に百済から琳聖太子によって伝えられたとされますが、実際には中世に伝来したと考えられています。日本では妙見信仰を通じて、仏教、陰陽道、神道など様々な宗教に取り入れられました。また、「鎮宅霊符神」としての神格も形成され、信仰の対象となりました。この霊符は、道教の玄天上帝像から影響を受けているとされます。
近世には、72道の護符を曼荼羅状に1枚の紙に配して祀る形式が広く信仰され、加藤清正や楠木正成などの武将にも篤く信仰されました。これに因んで製作された神鏡や神鈴も多く伝来しており、その歴史的価値と信仰の深さを今に伝えています。