健磐龍命:タケイワタツノミコト

宮崎県高千穂に伝わる神話の一つに、神武天皇の孫である健磐龍命(タケイワタツノミコト)の物語があります。

ある日、健磐龍命は高千穂の国見ヶ丘に立ち、北の遠くを見渡していました。彼の目に広がったのは、草原の彼方に静かに佇む阿蘇五岳の姿でした。視界を遮るものはなく、広大な大地が広がっています。南方に連なる山々の峰々とはまったく異なる風景でした。

「阿蘇に向かい、そこで新たな土地を開き、人々を養おう」そう決意した健磐龍命は、高千穂から阿蘇へと旅立ちました。道中、馬見原の地で幣を立て、祖先である天神地祇を祀りました。これが現在の幣立神宮の始まりとなります。

幣立神宮(熊本県)

さらに、草壁の地に到達した健磐龍命は、土地の豪族の娘と結婚し、これが吉見神社の起源となります。その後、彼は高森峠に至ります。そこから見下ろす阿蘇谷は、満々と水をたたえ、農耕には不向きな地でした。

決意を新たにした健磐龍命は、力いっぱい外輪山の一部を蹴破りました。阿蘇大明神という神号を持つ健磐龍命は、阿蘇の開拓神として祀られ、宮崎、熊本などの大きな社に祀られています。

■系譜
*子孫は阿蘇神社 大宮司家の阿蘇氏
子 … 速瓶玉命(初代阿蘇国造)
妻 … 阿蘇津媛命(彦八井耳命の娘)
弟 … 彦八井耳命(子とする説あり)、建渟川耳命(第2代綏靖天皇)
母 … 姫蹈鞴五十鈴姫命(紀では事代主神の娘、記では大物主神の娘)
父 … 神八井耳命
祖父 … 神日本磐余彦(神武天皇)

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